春はいつまで寝てるのか

旅についての記憶を。

おはようプラハ

ある朝、グレゴール・ザムザが不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の姿が一匹の、とてつもなく大きな毒虫に変わってしまっているのに気がついた。

 


トムは昨日読みはじめた本を思い出した。それは、祖国であるチェコの代表的な作家、フランツカフカの変身の書き出しだった。

 


トムは夢をみないことが多かったが、その小説を読んでからは朝起きて自分の足が二本のままであることをまず確認することが習慣となっていた。

 


その朝は、珍しく夢を見た日だった。

トムは起きて顔を洗い、コーヒーメーカーをセットする。その間にその日に着る服を決め、予め出しておく。コーヒーができたら赤いマグカップに入れて一度すする。トースターのスイッチを入れて目玉焼きを作る。ここまでで15分。

 


トムの父親がいなくなってからもう5年ほど経つが、驚くほどに朝の手順は変わっていない。今朝は少し早めに起きることができたので、トムは父親の部屋をあけた。朝ごはんよりも変わらない仕事のやる気を出すためだった。

 


そのベッドの中にはアジア系の顔をした青年が眠っていた。

 


ドアを閉めると何事もなかったかのようにトーストの上に目玉焼きをのせ、口いっぱいに頬張った。変化という変化に弱いトムはそのまま家を出てしまった。チェコは時代の波に揉まれた国家の1つであったが、トム個人の性格に影響を及ぼすことはなかったらしい。

 


トムの家のドアには落書きがしてあった。意味の分からない文字が羅列してあり、はじめは消す努力もしたが効果はなかった。

 


家から歩いて20分のところにトムの職場は存在する。トムはプラハ市庁舎で働いており、日々世界遺産を中心とした観光地の整備に追われている。ある程度の成績で大学院を卒業したものの働き口はなかなか見つからず、専門の観光学とは当たらずとも遠からずのプラハ市役所の仕事にありついた。

ドアのないエレベーターの時代錯誤について辟易しながら三階に向かう。途中では観光客と思しきアジア人が動画を撮っているのが見える。普段であれば他人の職場を配信するなと注意するのだが、今朝ベッドにいたアジア人を思い出すのに精一杯だった。

 


市庁舎の三階では、プラハ城のセキュリティと観光客の安全確保が直近の課題に挙げられており、トムもその議論に加わっていた。

その日の午後は仕事でプラハ城まで赴き、見慣れた絶景を背に、歩いてゆく人々と施設について視察を行った。仕事を始めたばかりの頃は市役所の仕事についていくのに必死で、よく仕事中にプラハ城で財布をすられた。その出来事が職場内で話される度にトムは顔を赤くして弁明を行なった。

 


その夜は長かった。

トムは外で夕食を済ませて家に帰ると、シャワーを浴びた。次の日は休みだったため、片付けもそこそこに寝ることにした。トムは未だに父親の部屋のドアを開けられずにいる。

 


気づくと明るくなっていて、朝が来たことを悟った。部屋を出ると青年がコーヒーを淹れていた。

 


ある朝、僕が不安な夢からふと覚めてみると、ベッドのなかで自分の居場所が全くもって変わってしまっているのに気がついた。

 


仕方なくベッドから体を起こし部屋を出ると、見たことのあるキッチンだった。しかし、ここがどこかということをあまりよく思い出せない。誰の家にいても朝はコーヒーを飲むことは決めているので、コーヒーを淹れた。いい香りがして、白いマグカップに移す。

 


僕が出てきたのとは別の部屋のドアが開く音がした。僕は挨拶をした。

 


「おはよう」

 


「おはようございます」

 


「ここってどこなんですか?」

 


「私の家です。私はトムといいます。ここはプラハ、ええっと、チェコの首都にあたります。」

 


礼儀正しい彼は、自分の家で明らかに歳下の僕に向かって丁寧に話している。プラハであれば僕の家も遠くない。

 


「すみません、僕気づいたらここにいて。すぐ帰りますね。」

 


僕はお互いに抱えているであろう違和感が露呈される前に家を出てしまおうと思った。幸い荷物は持っていなかったので、コーヒーをごくりと飲み込んで階段を下りた。トムさんも気のない返事をして僕を見送ろうとしていた。

 


僕はドアを開け、駅がどちらかも分からないまま左に一歩踏み出した。振り返りドアを見ると、落書きが一面に書いてある。左に二歩目が踏み出されることはなかった。トムさんが閉めようとする扉を押し返した。

 


「今日あと3時間程、時間あります?落書き消しましょう」

 


「あ、ありますよ」

 


戸惑うトムさんを押し退けるようにして掃除用具を取り出し、掃除を始めた。それは、今までで一番大掛かりな掃除だった。僕はトムさんに指示を出し、トムさんはそれに従った。作業という意味では清掃活動のようだったが、どこか家族で大掃除しているような感覚があった。

 


トムさんのことはなにも知らなかったが、過去を清算しているようにもみえた。

 


作業は3時間を30分過ぎて、昼頃になっていた。ようやく片付けまで終わると、なかなかに立派なドアが現れた。

 


「本当にありがとうございました。とても、とても嬉しいです」

 


トムさんは礼儀正しくそう言った。

 


「いえ、勝手にすみません。ではこれで」

 


なんだか名残惜しい気もしたけれど、これ以上なにも言うこともやることもないように思えた。立ち去ろうとした時に、トムさんから声をかけられた。

 


「あの、名前を教えていただけますか?」

 


トムが少年から聞いた名前は父親のそれだった。トムは市役所の仕事をしながら、憧れていたホテル経営に向けた努力をしようと決意した。

 


思うままに生きるために、強烈な違和感をのみこんだ。

ブダペストの夜警

ドアを開けた。そろそろ陽が落ちる。

仕事が始まる。

 


1週間分の食料も買い込んだし、久しぶりにセーチェニ温泉までいってきた。やはり日本人にとって温泉は力の源になる。

僕はブダペスト東側の地区に住んでいるので、歩いて橋を渡らなければならない。だから、仕事が始まる1時間前の時刻を確認してから家を出る。それはもう10年近く続いたルーティンだった。

 


遠目にブダ城を見ながら鎖橋を渡る。今日はデモが行われていた。辺りを見回しただけで10人以上の警察官がいる。

 


いつ見てもドナウ川は美しい。この景色に惹かれて移住してきたといっても過言ではない。近くにはウィーン、イタリアの諸都市、プラハなど美しい街がたくさんあるが僕はブダペストが好きだった。

 


「交代の時間だ」

 


「待ってたよ。マサ、今日はかなり寒いね。体に気をつけて」

 


警備員同士の会話は多くない。この歳になれば尚更だ。それでもアジア系の移民である彼は僕に少し気を遣ってくれていた。

もしかしたら彼は一度くらい僕の墓参りをしてくれるかもしれないな、と考えた。

 


3年ほど前までは漁夫の砦を担当していたが、僕の真面目な勤務態度が認められてブダ城へと担当替えになった。漁夫の砦は灯りも人も多いため、サボりにくい。一方でブダ城はわりに暗く、敷地が広いため人もまばらだ。ブダ城に来てからは、少し暗闇に対する怖さも出てきた。実際、ブダペストの夜景が美しいあまりに、呑み込まれていなくなってしまった人がいると聞いたことがあった。もちろん、あくまで噂ではあるけれど。

 


いつも通り、どこを見るでもなくしゃんと立つ。辺りはかなり暗いが、まだ22時前ということもあり観光客が多い。聞きなれた日本語はどうしても反応してしまう。自分にカメラを向けている彼女達は大学生だろうか。韓国やイタリアの国旗を掲げながら団体を案内しているガイドの方は景色を見ずに休んでいる。

やりたいことを仕事にするのは考えものだ。それとも、インドアだったのに就職活動の末にあまり好きではない旅行を仕事にしたのだろうか。誰もが旅行好きだというのは偏見だろう。

 


警備をしている間はこんなことをずっと考えている。24時まではこれで凌ぐことができる。ただ、次の交代があるのは3時だ。ここからが問題で、人もいなくなるし眠気も襲ってくる。俯く時間が増える。

 


こんな時間には珍しく、少年が走ってきた。辺りを見回すと、壁の上に登り座った。

その姿勢で写真を撮る観光客は多いので、それ自体は問題ではない。しかし、次の瞬間に少年の姿が消えた。

 


僕は急いで駆け寄り身を乗り出して壁の下を確認した。そこに少年はいない。腕に力を入れ乗り出した体を壁の内側に戻す。目線を左に移し少年を探すために一歩目を出す。はずだった。

僕は目線を左に移すときに、正面を見てしまったのだ。足は根が張ったように動かない。眼下には光り輝く鎖橋と国会議事堂が見える。

 


「勤続40年、お疲れ様でした!」

 


高卒で入った会社に骨を埋め、最終的には大卒資格も取りそこそこの出世もした。日常レベルのミスで叱咤されることはあったものの、大きな問題は起こさずに会社人としての役割を終えた。あまり頭がいいとは言えなかったが、気のいい娘を持ち孫も楽しみだった。

多くの先輩がそうしているように、妻を旅行に連れて行こうと思った。少し体調を崩しがちではあったが、出掛ける元気はあると思っていた。僕が半ば強引に連れて行った九州から東京に帰る飛行機の中で発作を起こして、そのままいってしまった。

 


僕は自分を責めた。はじめの頃は仕事仲間も慰めてくれていた。しかし、僕の頭がおかしくなったと噂が広がるのは時間の問題だった。見兼ねた娘は僕をハンガリーにやった。

 


あの少年のようにみえた影は、背中の小さな妻だったような気がしてきた。

視界には夜景が広がっていた。満点の星空のようだった。

 


僕は辺りを走り回った。石畳は膝に大きなカウンターパンチを与え、心臓は口から飛び出そうだった。

 


それでも壁に沿って走ると階段があり、全力で駆け下りた。上から少年の笑い声が聞こえた。僕はすぐに引き返すと途中手をつきながらその声を追いかけた。

 


辺りを見回すと漁夫の砦まで来ていた。少年は砦の出窓のようなところに座っていた。

今度は驚かせないようにそろりそろりと近づいていく。足の感覚がなくなってきた。顎を引いて自分の脚をみると闇に紛れて見えなくなっている。老いた脚はなくなり、どこまでも走れそうな気がした。

 


すぐそこに少年はいる。こちらに背中を向けて座っている。台所に立った妻を思い出した。

 


少年は座った状態から膝を下ろして小さく跳ねた。夜景に続く道があるかのように、そのまま空中に着地して歩いて行った。

 


腕を掴まれたのは幻覚ではなかったが、真下に地面がないのも幻覚ではなかった。

僕の上半身は既に空中にあり、同僚の警備員が腕を掴んで現実に引き戻してくれた。

 


ブダペストの夜景は人を呑み込む。

ウィーンでは女神が歌う

21歳。はじめての海外旅行。

その場所に選んだのはオーストリア、ウィーンだった。

 


一番懸念していた鉄の塊が空を飛ぶかどうかという問題はクリアされたみたいだ。気づいたら乗り継ぎのドイツに着いていた。

そこから飛行機を乗り換え1時間半ほど経つと目当てのウィーンに着いた。

 


僕は都内の大学に通っているけれど、未だに実家の船橋にいる。悪い街ではないが、都心からだとどうしても時間がかかりすぎる。

サークルの飲み会の二次会に行かなくてもいい免罪符を持っていることは、よく羨ましがられる。でも家に着く時間はみんなとさほど変わらない。

 


そんな飲み会、それも忘年会の一番端の席に座り、好きでもないハイボールを少しずつ飲んでいた。

 


「就活始まる前に海外行きたい!みんなどこかおすすめの国ない?」

 


「ウィーン」

 


僕はむせてしまった。

凛が積極的に口を開くこと場面をあまりみたことがなかったからだ。あるいは、僕が凛の横顔を見ていたということもあるかもしれない。

 


話を振ったお調子者の遼も少し驚いたように見えた。

 


「ウィーンって、オースト、リア、だったよね?何があるの?」

 


オーストリアの首都。芸術の街。私はオーストリア国立図書館がすき。」

 


「へー!めっちゃよさそう!」

 


そこで会話は発散した。

凛の言葉は、他のみんなを黙らせる力を持っている。

 


「ウィーンがいいです。」

 


僕は気付くと、そう口走っていた。

 


当たるはずがないお正月、商店街の福引に当たってしまったのだ。その一等は、海外旅行券だった。

幼い頃から知っているおじちゃんに、どこ行きたい?と聞かれて、忘年会の凛の言葉がよぎった。知識は微塵もなかったのに。

愛想笑いを浮かべながらも、心は浮き立っていた。

 


はじめての出国検査を済ませて、スーツケースを受け取ると、ガイドブックを見ながら市街地の方に向かった。

すれ違う人は、かなりの割合で僕より背が高い。そして目が青い。飛行機で座り続けたことも手伝って、僕の疲労は全身に広がっていた。

 


広い通りに出て少し歩くと僕は座り込んでしまった。日本から持ってきた緑茶の残りを飲み干して顔を上げると、空になったペットボトルが地面に落ちたときの軽い音がした。

シュテファン大聖堂を前にして、指の力が抜け落ちてしまったのだった。そうして20分は経っただろうか。やっと我に返り、その美しさを写真に残した。

 


さて、とスーツケースの方に手を伸ばすが感触がない。

そこにあるはずのスーツケースは姿を消していた。足が生えて、一人でウィーン観光でもしているのかと思われたほどに、完全に姿を消していたのだ。

 


すぐに辺りを見回すと、僕の黒いスーツケースを持っている人が小走りで路地に入ろうとしている。追いかけようとしたその時に、視界の右端にも僕のスーツケースを捉えた。

僕は、黒いスーツケースは世界にいくつあるのだろうと考えてやめた。きっとこの広場のどれを確認しても、僕のスーツケースではない。

 


そこからまた1時間途方に暮れた。不幸中の幸いといえるのか、パスポートとdocomoしか繋がらないスマホ、幾らかの日本円は残っていた。しかしそれ以外にあるものと言えば空になった緑茶のペットボトルくらいなものだった。

 


スマホの電源を切ると、社会から断絶された音がした。開き直った僕は凛の言っていたオーストリア国立図書館に向かった。

入り口は少し分かりづらかったが、有り金をはたいて中に入った。博物館のような内装で、凛の言っていることが少しは理解できた。しかし、図書館の中はそこまで広いわけではなく、30分も見ると満足した。

 


昔から計画性に欠けると言われてきただけあって、とりあえず閉館までは図書館の中で人間観察をすることにした。

様々な人種、そして旅行者が多いと、同じ団体同士の関係をあれこれ考え尽きない。

 


周りの人を見ながら、少し邪道な道をぶらぶらしていると、扉に出くわした。ロッカーなのか?一度後ろを振り返り、誰もみていないことを確認する。

 


扉は大きめの音を立てて開いた。ただ、入ってはいけないようにはみえない。

そこには本はなかったが、地下に繋がる階段があった。地下書庫に繋がっているのだろうか。

 


細めの通路を歩いていく。暗いけれど、定期的に電灯がついているので道を把握することはできる。道が分岐しているところは全て左を選んだ。

 


次の分岐点も左を選ぼうとしたが、右手は上りの階段が奥に見える。

 


思い切って上がってしまうと、歌が聞こえた。第二外国語としてドイツ語を取っていた僕は、その歌声がドイツ語だということを確認した。

そこはオーストリア国立歌劇場だった。

 


焦って階段を降りた。階段を見つけるたびに地上を覗いた。どこも地球の歩き方でみたような景色だった。

 


もしかしてこの小さな街ウィーンは地下で全て繋がっているのではないか。

そう直感した。右の方から声が聞こえたのも同時だった。足音がこちらに向かっている。

 


まずい。

荷物は何も持っていない僕は出来る限りの速さで走った。幼稚園の節分を思い出した。僕は鬼が来たら豆を投げるより、豆を投げ出して逃げるタイプなのだ。

 


その分岐点を左に折れると階段があった。助かった、と思い何時間ぶりかに陽の目をみた。

 


そこは、シュテファン大聖堂からそう遠くない場所だった。一刻も早く立ち去りたい。

疲れた体を反転させると、凛が立っていた。

 


僕は精一杯笑ったが、涙は流れていた。

 

ヴェネツィアはどんな都

水と、ともに生きてきた。

これはよくある比喩でもないし、人間の60%が水で出来ているという話でもない。私は日本人としては珍しく、海外で生まれた。それも、イタリア、ヴェネツィアで。

 


この事実は、日本に行った時には心を躍らせるし、イタリアに帰ってくると辟易する。親のつながりで日本にいる友人には、港区在住の何十倍もの価値があるようなことを言われる。しかし、現実はそうとは限らない。

 

すぐ街は浸水するし、どこに行くにもヴァポレットと呼ばれる水上バスに乗らなければいけない。なにより酷いのが品のない観光客が多いことだ。

この景色が美しいという旨のことを世界中から来た観光客が言っているが、その姿が美しくないことに気づいている人は殆ど見かけない。特にアジア人のかけているサングラスの上から眉毛が出ているのを見ると、見窄らしいを通り越してこちらが泣きたくなる。

 


唯一良かったことは、水路や道路が入り組みすぎて友達と近所を走り回るのが、それはそれは楽しかったことだ。

 


それ以外には、基本的に他の街と同じだと思う。スーパーもあれば映画館もあって、広い公園もある。国際映画祭なんかは、他の街にはないのかもしれないけれど、日常にそれほど干渉してくることはない。

 


「久しぶり!今度ヴェネツィアに行くんだけど、会えないかな?」

 


日本の友達がヴェネツィアに来るらしい。Facebookを開くとそんなメッセージが来ていた。案内すること自体は別にいいのだけれど、私がいつも生活している場所を特別なものに仕立て上げて、勝手に美化しないでほしい。

 


私は、日本に何度か短い滞在しかしたことがない。だから、彼女たちの言い分が全くわからない。正直すこし気味が悪い。祖国に住めるということほど素晴らしいことはないというのに。

 


「少しきちんと日本にいてみたらどうだ?面倒を見てくれる人ならいるし、お金も心配しなくていい。」

 


私がこぼした愚痴に対して、父がそう返した。

 


「いや、でも、」

 


その先が続かなかった。媚びてくる人への理解なんて考えたことがなかった。

日本はとても美しいし、不思議な文化も持ち合わせている。実際に、日本に住んでみたいという憧れは昔からあった。

 


「ほんとに!そうしたら次の休みはそうやって過ごしたい!」

 


精一杯の演技をしたつもりだ。父親は娘からの愛想に弱い。

 


日本の滞在はとても楽しかった。

渋谷のスクランブル交差点、新宿の思い出横丁、浅草寺の人力車には初めて乗った。少し生活している中で、お米を何にでも合わせる文化や、電車が3分遅れると電光掲示板を気にする人が多いことも理解した。

 


美しいものに溢れながらも、好きになれないものもたくさん見かけた。その1つである溢れかえる人について尋ねた。

 


「ねえ、東京にいるこんなにも多くの人たちは、どこに住んでいるの?」

 


純粋な興味だった。

 


「埼玉とか、千葉かなあ。もちろん都心に住んでいる人もいるけれど、ベッドタウンって呼ばれてるところがたくさんあるんだよ。電車で1~2時間くらいのところがメインかな。」

 


「東京ってこんなにも大きい都市なのに、まだ外にも人がいるの。よっぽど東京のことが好きなんだねえ。」

 


「みんな東京から離れることは負けることだって信じすぎてるんじゃないのかな。なんでもいいけれど、もう少し人は減ってほしいわね。」

 


私がヴェネツィアのことを話す時のように、一種の諦念を抱えながら教えてくれた。信じているという単語から、1つの童話を思い出した。

 


それは、ヴェネツィアの小学校で読んでもらった絵本だった。この時まですっかり忘れていた。

 


ヴェネツィアはある時沈みかけたのだ。地球温暖化が故の海面上昇だったのか、神様が海に入ったことで浴槽から水が溢れるように高い波が襲ってきたのかは覚えていないが、とにかく沈みかけたのだ。

 


それを救ったのは、一人のおじさんだった。そのおじさんは、いつも歌いながら水上ゴンドラで観光客を運ぶ仕事をしている。

 


おじさんはみんなに語りかけた。

 


ヴェネツィアは、みんながヴェネツィアの存在を信じていることで、地中海に浮かぶことができている。その力がなければ、こんなに細い水路なんて何十年も続いてこなかっただろうさ。」

 


「だから、ヴェネツィアが沈みそうだということは、みんなの信じる力が足りていないということに違いないんだ。ヴェネツィアを美しいと言ってくれる人を、心から歓迎しよう。それは人種以前に、どの動物でも共通でそうするべきなんだ。」

 


それから、ヴェネツィアの人たちは経済的なことを抜きにして観光客を大切にした。ヴェネツィアは、世界中の人からのイメージや羨望によってその美しさを保っているのだ。

 

 

そこで話は終わっていた。

 


東京にも美しいものはたくさんあった。魅力も見つかった。

でもやはり、ヴェネツィアの水路や幾つかの橋は、負けていないと言えた。

 


日常レベルでは、他人の憧れなんて迷惑だ。

だけれども、それ以上に、ヴェネツィアは美しい。あまり良く思っていなかった観光客も、その美しさの一翼を担っていたらしい。

 


これから旅に出る度に、故郷のヴェネツィアを好きになるのだろうか。

なんだか損している気分になる。

 


憎らしいほどに、脆くて、完全な街だ。

フィレンツェの窓

いつも一人だった。

それは仕方なく一人なのではなくて、間違いなく自らの手で掴み取った一人なのだ。

 


日本人はいつも一人に対して恐れ慄いているから不便だ。

いつだって、自分の気持ちは一人で噛みしめるしかないというのに。

 


「あれ3限のテストの教室ってどこだっけ?」

 


「1限のテストやばかった。先輩の噂と全然範囲違ったんだけど、あれじゃあ過去問の意味なんかないじゃん。」

 


「3限の教室は6号館に変わったらしいよ。」

 


甲高い声を出しながら前に4人が歩いている。その会話を聞きながらなんとなくその最後尾についている。

 


大学入学当初から縁があり、一緒にいる5人だ。高校時代はバレーが上手ければ何をしていても許されたが、大学は違うんだと思い知らされた。

 


兼ねてからの希望で、高校の同級生とは違い、芸術系の大学に進んだものの、女子の社会というのはあまり変わらなかった。

友達がいないとテストの情報が回ってこないし、中には根回しさえしておけば単位が取れるものもあった。

 


私はただ絵を描いていたいだけだったので、それ以外の授業はひどいものだった。最初の夏休みでテストに人脈が必要だということを知り、なんとか縁があった友達の輪に入れてもらった。

 


化粧もろくにせず、暗い茶色に染めた髪の毛を後ろで束ねた私は、女子の社会では恐怖にならなかったのだろうか。

もしそうなら、男兄弟の中で育ったことは悪いことばかりではなかったのかもしれない。

 


「凛は夏休みなにするのー?」

 


甘ったるい声が自分に向けられたことに気づくまで、少しの時間がかかった。

 


「一人で海外に行こうかと思ってるよ。」

 


「えー!いいなー!どこいくの?」

 


「まだあまり決めていないのだけれど、地中海のあたりにいけたらいいかな。歴史のある街にいきたい。」

 


本心だった。せっかく誰にも縛られない春休みなのだ。近所の精肉屋でバイトをして貯めたお金に、父親から下駄を履かせてもらい2週間ほど一人旅にいくことを決めていた。

 


私は迷うと、その内容が何であれ、叔父さんに尋ねる。今回も行き先に困っていたので手紙でいい場所を聞いていたのだ。その返事が来ないことには、行き先を決められずにいた。

 


「凛へ 久しぶり。大学生活はどう過ごしてるかな。旅先だけど、南の方は少し治安が悪いから凛がいったことのあるローマより北のイタリアはとてもいいと思うよ。例えば、ボローニャとか、フィレンツェとか。ヴェネツィアは世界でここしかないって思うだろうし。」

 


私は単位が全て回収できただろうと、自分のテストの出来にある程度満足すると、早速荷造りを始めた。バッグの中は絵を描くために必要なものばかりになった。

その翌日、ローマまで直行便で行き、そこからは電車でフィレンツェへと向かった。

 


多くの旅行者と一緒にフィレンツェの駅で降りて、そのままミケランジェロ広場を目指して歩いた。正直なところ、荷物はかなり重くて、バレー部でのトレーニングを思い出した。途中、善意なのか客引きなのか分からない何人かに声を掛けられたが、画家の名前と絵のタイトル以外の外国語はなにもわからなかったので、日本語で断りながら進んだ。

 


少しお腹が空いたので、パンにトマトと生ハムを挟ませたものを手に、少し座った。そういえばフィレンツェにはそのへんに座れる場所がとても多い。しかしそれほど混んでいる訳ではなく、しっかりとした足取りで歩いている人が殆どだ。

メディチ家の家紋がいたるところに並んでいることから分かるように、とても気品が高い街なのかもしれない。

 


辺りを見回すと、嫉妬を越えた羨望が、指先から蝕んでくる。バレー部で活躍していた時、意味もなく憧れを抱いてくる後輩の女子の気持ちが、少しはわかってしまったのかもしれないと感じた。

 


続く石畳、そびえ立つ高い建物、壁には並のセンスでは書けないイラストがある。そして、高い建物を抜けると大きな川があり、思わずかかとが浮いた。

 


自分はこの街には張り合えないということを、優しく、けれど冷静に伝えられた気分だった。

 


「それならば、とことん付き合ってもらおうじゃないか」

 


私は川を渡り、左前方に見えるミケランジェロ広場を、睨んだ。口元は緩んでいた。

 


絵を描く準備をするまでに30分は軽くかかった。人混みが嫌いなので早めにいったつもりだったが、既に3時を回っていた。

後ろから聞こえてくる音楽は、吉祥寺駅北口の夜、シャッター前の歌声と同じ路上ライブだとは思えなかった。

 


紅く染まった家々の屋根はなにかを主張しているようにも思えたが、同時に自然の摂理として存在しているようにも思えた。

急いで道具を取り出して、丁寧に目の前の景色を掬っては、自分の持っている紙に落としていった。それは、美しさゆえにとても難しく、苦痛を伴う作業だった。完成だとしたときには、息が上がっていた。

 


もうすぐ夕日の時間になるからだろうか。人が多く上がってきた。それを感じ取ると、早く川まで降りなければという使命感に駆られた。

恐らく友達と話しながらあの景色を見る人はなにも理解できない。あの光景に対峙するためには完全に一人で臨まないといけないのだ。

 


橋を渡りきり、やっと安心して呼吸をした。

溜まっていた教授への連絡と、さっき描いた絵の仕上げをしなければいけないと思い出した。宿に向かいたくない私は川を望む壁にひょいっと飛び乗った。

 


壁の下で私の方にカメラのシャッター音が聞こえる。画になっているのだろうか。私はこの街に張り合える人間ではないのだから本当にやめてほしい。

 


フィレンツェは理解されない。美しいままでいて。

ローマでひとり

僕は悩んでいた。

この店を手放すか否かについて。それは10年ぶりに街で見かけた同級生に声を掛けるか否かと同じ程度には難しいテーマであった。

 


「ボンジョルノ!いつものクロワッサンとカプチーノを頼むよ。」

 


「ボンジョルノ、昨日のローマは酷かったね!」

 


「今度ミラノに行った時に有望なストライカーを口説いてくるよ。そうでもしないと気が済まないからね。」

 


僕は3年前から熱心に通ってくれている常連のルイージが今朝一番のお客さんだ。通い始めたときに連れ添っていた奥さんとは別れ、今は娘に会う機会もほとんどないらしい。

機嫌だけはいつもいいおじさんなのだが、これ以上なにを求めるというのだろうか。人生は本当に何があるか分からないと教えてくれた一人だ。

 


そんなことを言っている僕も人のことは言えない。大企業のノウハウを持って35歳の頃に立ち上げた会社を、2年あまりで畳んでしまった。創業当時は気力と資金に満ち溢れ、人もたくさん集まっていたのだが、気づくとすり減っていく気力を追いかけるように資金もなくなっていった。これ以上従業員に迷惑をかけられないと事業撤退を宣言した僕には何も残っていなかった。

その期間で唯一覚えているのは、妹の娘、凛と遊んであげている時間だった。

 


僕の姪にあたる凛は、彼女の祖父母である僕の両親にはあまり愛想がよくなかったが、何故か僕とは気が合った。

 


しかし、会社を潰した当時は、その癒しの時間さえ気が休まらなかった。

 


「ちょっと遠くに行ってきたらいいじゃないの。」

 


もう小学校の低学年にもなる凛が遊び疲れて寝てしまっていたときに妹にそう言われた。

その時の僕には、そんなことを言ってくれる人間がまだ世界にはいるのかと感動してしまった。ただ同時に、そこまでの気力がないと反論してしまう自分もいた。

 


その1週間後、僕はローマのフェウミチーノ空港に降り立っていた。

 


妹としては何泊か温泉に行ってくるように言ったと思うのだが、その言葉を間に受けた僕は丸3日考え続けた末にローマ郊外に移り住むことにした。

 


日本にいると心が落ち着かなかったし、逃げるなら当分は誰も追いかけてこないようなところに逃げたかった。

 


数週間ドミトリーを転々として、ローマの地図を見なくても歩けるようになった頃に、ひどく気に入ったバルを見つけた。

 


そこはモンテマリオ駅のかつて大統領が暗殺された場所からほど近い小さなバルだった。たどたどしいイタリア語で注文をした1週間後には、カウンターの内側に立っていた。魔女の宅急便を思い出した僕は、手伝わせてもらえないかと交渉したのだ。

 


そんなことがあってからもう10年にもなる。お世話になった元店主は、5年前に歳だからとナポリに住んでいる息子夫婦のところにあっさりと越してしまった。

 


僕はコーヒーの粉をぎっしりと銀色のカップに詰め、カプチーノが出てくるのを待ちながら、今までのことを思い出していた。

ルイージに頼まれたものを出し終えると、10年前の凛が映ったスマートフォンが震えていた。+81の文字をみて緊張した僕は両手で卵を持ちあげるようにスマートフォンを手に取った。

 


「突然ごめんね、結論から言うと凛がそっちに向かう。泊めてあげて。」

 


状況がうまく掴めないのに加えて、適切な日本語がその場で出てこない自分に驚いた。

 


「今高校3年生で、受験生なんだけど、どうしても海外に一人で行きたいっていうの。私も疲れてたのよ。咄嗟にローマのおじさんのところに泊まるからって言われて、それならって許可しちゃって、」

 


「こちらとしては大歓迎だよ。大したことはできないけれど、凛のためなら宿とご飯の用意くらいはできると思う。」

 


華奢な体にリュックを担いだ凛を見たときには驚いた。時間が一気に進められた浦島太郎になった気分だった。

 


「よろしくお願いします。これ母さんから。」

 


東京ばななを渡されたときに見えた目は、確かに凛のものだった。

このとき迷いが確信に変わった。

 


日本に帰って、仕事でも探そう。

雑多な街、ローマ、ありがとう。チャオ。

透明なモスクワ

待ち合わせをしていた。

待ち合わせというのは、大抵が目的地の近くの駅だったり、その日予約している店だったりする。ただその日は違っていた。

家を出てから既に半日ほどの時間が経っているのにも関わらず、時計の針は半分しか進んでいなかった。ツカヤは小学生の時からずっと住んでいる高円寺の駅から、電車と飛行機を乗り継いではるばるロシアの首都に来ているのであった。

 


「珍しくおばあちゃんから手紙が来ているわ。見ておいてね。返事の手紙は引き出しの一番下の便箋を使って。なかなか減らないのよ。」

 


母から渡されたものは、僕宛ての手紙だった。高円寺に越してきてから、1度しか会いに行っていない祖母からだ。会いに行った時のことを思い出そうとしてもあまり上手くその光景が思い浮かばない。10年近く前のことだということを考えれば、ごく自然のことに思えた。

 


封を開けると、いつまで経っても違和感が残る文章が目に飛び込んでくる。ツカヤの祖母はロシア人であり、貿易関係の仕事でロシアに駐在していたツカヤの祖父と結婚してから日本語の文字が書けるようになったのだ。

 


母の使う日本語に違和感はあまり感じないものの、ロシア人の血をひいていることを感じさせるのはその目の色だった。ハーフである母親の顔立ちは息子から見ても整っていると思わざるを得ない。若い頃の自慢話は飽きるほど聞いていたけれど。

 


「2月の1日に赤の広場に来てください。渡したいものがあるのよ。お母さんには話を通しておくから。」

手紙の内容はこのようなものだった。今どきそんな内容を伝えるだけなら電話でもメールでもいいというのに。口をついた憎まれ口とは裏腹に、少し浮かれている自分がいた。

 


次の朝母親に確認すると、昨日のうちに連絡があったという。そこからはつまらないが故に長く感じた日常が、早く過ぎるようになった。

 


1月のカレンダーも残り少なくなってきたところでツカヤのもとに再び手紙が届いた。

基本的に待ち合わせの詳細について書かれていた。しかしその中には、日本語の間違いとは考えづらい箇所があった。

 


「赤い帽子、青い目、黄色い靴。あなたと同じくらいの女の子が赤の広場にいるわ。待ち合わせの相手はその子よ。きっと街を案内してくれるわ。」

 


呼び出した上に知らない人と会わせるのかと苦く感じながらも、久々のモスクワ観光を用意してくれたことに対して悪い気はしなかった。

国籍を選ぶ権利があった母親とは違い、はじめから日本人として育ったツカヤでも、モスクワには行くではなく帰るという感覚がある。

 


待ち合わせをしていた。

足元には石畳が並び、見上げるとどんよりとした空が広がっていた。遠くには見覚えのある赤い建物が幾つかあったが、名前まではうまく思い出せずにいた。

 


手紙を確認すると指定された時間まではあと少しあった。なにか変わったところはあるかと、一歩ずつ少しの緊張を石畳に伝えながら見て回った。旧ソ連の時代のものなんて変わるわけがないのだけれど。

 


彼女は突然立っていた。

立っているというのは行動ではなくて状態なのだから、突然というのはおかしいのだけれど、その表現が適しているように思えた。

 


その彼女は赤い帽子に黄色い靴を履いていた。こっちに来てからほとんどの人が青い目をしているので、青い目そのものは珍しくなかったが、覗き込んで見つけた目はとても深い藍色だった。

 


顔を上げた彼女に自分の名前と祖母の名前を告げ、反応を待った。ただ彼女は立っていた。英語の発音が悪かったのか、少し焦った僕は祖母からの手紙を見せた。そこにはロシア国内用にキリル文字で祖母の名前と住所が書いてあった。

 


それをみて合点がいった表情をすると、彼女はくるりと方向を変えた。僕に背中を向けるとすぐに歩き出した。

 


「待ってよ。」

 


僕がとっさに出したその声も聞こえているのか分からない。僕が来た道を引き返すように歩みを進めていく。それは観光案内というより、マラソンの練習が始まったかのようだった。

 


一番近くのメトロの駅まで行くと、なんの迷いもなく改札の中に入った。旧ソ連の象徴である赤色の切符を通すと、終わりが見えないほど長いエスカレーターに彼女が乗った。ほの2段上に僕が乗った。

 


モスクワの地下鉄は美しい。大理石で覆われたホームは、間違えて職員通路から博物館に入ってしまったような後ろめたささえ感じさせた。

日本のそれとは比べるのもおかしく感じた。

 


それに加えて、モスクワの人たちは高い天井、並ぶ大理石、手榴弾を片手に持った兵隊の銅像には目もくれずに日常を過ごしている。背景としてある種の完全さを成していた。

 


2分ごとに凄まじい音を立てて迎えに来てくれる電車に乗り込んで、路線図を見ていた。日本の路線図とかなり似ていたが、東京より大阪の地下鉄に近い気がした。

少し目を乗客に移すと、何かが違う。表情が厳しいのは特徴なのだが、背が大きいだけなのか。いや、スーツの人が極端に少ないんだと気づいた。

 


炭鉱のトロッコのような音を立てて次の駅に停まると、彼女は開いた扉の向こうへ出てしまった。ここが目的地なのかと思い、赤い帽子を追う。一向に改札を出る気配がない。乗り換えるわけでもなく大理石を踏みしめていく。

 


そうやって丁寧に一駅ずつ降りていく作業が何駅か続いた。

そのうちの2駅では乗り換えもした。

その作業は手順が決まっているかのように、確信を持って、淡々と行われた。

 


ついに改札を出た。アルバーツカヤ駅という看板を背に進む。

 


地下道路に入ると若者がバンド演奏をしている。北欧でのメタル人気が高いように、寒い地域に流行っているのか。ひどく耳をつく音楽だった。普段なら少し俯いて足早に通り過ぎる僕だが、そこでは止まった。彼女がバンドの方を向いてじっと睨むようにして目線を送っていたからだ。

 


「君はこういう種類の音楽が好きなの?」

 


僕の投げかけた言葉が彼女に当たり、こちらを向いた。なにかを言いかけて、やめてしまったようにみえた。その代わりに僕の手を引き地上に出た。連れていかれたのは集合場所である赤の広場だった。

 


電車で一周しただけだったらしい。

少し遠くに焦点をあてて辺りを眺めていると、見覚えのある人がこちらを見つめているのが分かった。祖母だ。

思わず駆け足で近づいた。

 


彼女にそれを知らせようと後ろを振り返ると、姿はなかった。

 


「綺麗な子だったでしょう。」

 


「一言さえ口を利いてくれなかったけれど。さっきまでそこにいたのにどこに行ったんだろう。」

 


僕は連れまわされたことを思い出して、憎まれ口を叩いた。

 


「口を利くどころか、耳も聞こえないのよ。利口なんだけどね。さあ行きましょう。渡したいものが待っているわ。」

 


祖母は歩き出してしまう。

 


「その前に、彼女は誰だったの。」

 


僕の声はタイミングよく横切った男の人にかき消されてしまった。

 


祖母との歩幅の違いを測りながら、10年前を思い出した。抽象的な、教訓とも取れるようなことを言われたのをひどく鮮明に覚えている。彼女は、祖母にとって、僕にとってどんな意味を持っているのだろう。

 


きっと、赤い街で出逢った藍色の両目を忘れることはない。