春はいつまで寝てるのか

旅についての記憶を。

ロンドンと僕

昔から被り物が大の苦手だった。
デパートの屋上で活躍する被り物たちも、舞浜で活躍するネズミの被り物たちも、不気味で理解できなくて、大声で泣いて全力で目をそらした。
同じような理由で、外国人も苦手だった。
身体が大きくて、目の色が違って、使っている言葉も違うのでなにを考えているか分からないくせにどんどん距離を詰めてくる。

 

流石に物心ついてからはそんなことを思わなくなったけれど、なんとなくの記憶なのか、帰省する度に両親と祖父母から繰り出されるエピソードを後天的にそうだと思ってしまっているのかは分からない。
ただ、僕は大のビビりだったということだった。

 

そんな僕が、今はロンドンで1ヵ月限定のホームステイをしている。
一丁前に英語を使ってコミュニケーションを取っている、はずだった。
ビビりが抜けない僕は、1ヵ月という期間限定で、しかもホームステイの母親が日本人、高校生の娘も日本が少し使えるという家庭を選んでしまった。
僕はなにをしに来たんだ。スタンフォードブリッジを観に来たわけじゃないだろ。
まあでもプレミアの舞台が見られたならいいか。なんて。

「乾杯!」

「もう来年3年生なんて早いね~。高校だったらそろそろ受験だよ?」

「いやいや、まだ2年の夏だよ?」

「お前、そんなこと言ってるから浪人する羽目になるんだよ。」

「今は浪人関係ないだろ!」

 

「私、留学しようかと思ってるよ。」

「え?ほんとに?」

 

今までの会話を聞き流していた僕も、さすがにみんなと同じリアクションをした。
まさか、サークルの夏合宿の打ち上げでこんなことを聞くと思わなかった。
あれ、僕といい感じだったじゃんか。
今まで日本で教育を受けてきて、どのタイミングでいきなり留学したいと思うんだ?
てかそもそも英語得意だっけ?

 

この夏仲良くなっていた女の子から出た留学という言葉に、幾つもの疑問が生まれた。
その冬に僕が短期留学をしたのと関係がない、とはいえない。
昔からビビりだった僕が突然留学をしたいなんて言い出すもんだから、両親はいつから留学したいなんて思ってたの?と、僕が彼女に向けた疑問をそのまま投げてきた。
血は争えない。
今までやってきたサッカーと最近の就活の厳しさを盾になんとか短期ならということで留学に漕ぎつけた。

 

そうして僕は今ここにいる。
ホストマザーに「今日は朝までには帰ってきます。」ときちんと日本語で伝えて、地下鉄に乗り大学に向かった。
もちろん勉強のためではなく、大学内の酒場に行くためだった。
結局、イギリス人ではなく中華系やオタクなイタリア人など英語を母語としない、日本に興味を持ってくれそうな人たちと仲良くなった。
その頃には、もうこの間の夏に仲良くなった彼女とはあまり連絡を取らなくなっていたこともあって、音楽がガンガン掛かるハコを全力で楽しんだ。

 

ビールを持って少し飲みながら仲間のもとに歩いく途中で、みんなの居場所を見失ってしまった。花火大会でトイレから一向に戻ってこない人みたいになっちゃったな。イギリスじゃこの例え通用しないか。

 

一人でビールを飲んでいると、日本語で話しかけられた。
少しびっくりしたけれど、こっちに正規留学している日本人の学生だった。
自分の大学名を伝えると、じゃあメイって知ってる?とピンポイントであの子の名前を撃ち抜かれた。

 

それからの会話はあまり覚えていないけれど、少し話してその学生とは分かれた。
なんだか変な気持ちになって帰路についた。
こんな時に、ロンドンは24時間地下鉄が走っていてよかったと思った。

 

そうか、あの子は突然留学がしたいと思ったのではなくて、留学している友達やその世界の広さをみて、自分も飛び込みたいと思ったのか。
もし違ったとしても、なにかしらの挑戦をしたいと思ったんだろう。
自分だって、そのきっかけはどこかにあったはずなんだろう。
ニュースで見る世界や、サッカーの中継で見る世界と、自分のSNSの世界、自分が歩いている世界を別物だと思っていた。
自分の世界を、今まで走ってきた延長線上のものだと思っていた。

 

だけど、きっとそれは少しだけ違って、自分のSNSや歩いている世界はニュースやサッカー中継の先にもあって、それは繋がっていた。
自分の世界は、少し自分が意思を持ってハンドルを切るだけで今までとは違って見えた。

もちろんいきなり別世界に行くわけではなく、初めて自転車に乗れた、教科書で見た金閣寺を見た、酒に酔うという感覚を味わったのと同じように、少しだけ世界の見方が増えたというだけのことだった。

忘れてたよ。

僕は、まだたくさんの可能性があるんだった。

パリから足をのばして

狭い部屋に置かれたMarshallのスピーカーからMaroon5のSundayMorningが流れた。

 

もう朝か。
授業がない朝は素晴らしいものだなあ。
さて、いつまで続くものか。
そろそろ仕事でも探さないとな。

 

フランスで生まれ育ち、一旦はフランス国内の大学を出てパリで仕事に就き、結婚して、自分が思い描いたパリジェンヌになれた。
そう思ったのは一瞬だった。
元々言い争いが多かった私たち夫婦は、なにもしなくても別れていたと思うけれど、結局は子供が欲しい夫と妊娠したくない私の意見の相違が二人に亀裂を生んだ。

 

勢いで実家に帰ってきてしまった私は、大学院に進学し、我がままにも両親が保有していたアパートに住まわせてもらうことになった。
お世辞にも広いとは言えない部屋だったけれど、1人と1匹が生活するには十分な広さだった。
そう、夫婦で買っていた小さなプードルをそのまま連れて帰ってきてしまったのだ。

 

仕事と夫を手放してからもう3年、大学院に1年通ったから学生を卒業してからももう1年以上経つ。
たまには実家にも顔を出しなさいという両親の言うことくらいは聞こうと思って、帰省を計画する。せっかく家を空けるならAirbnbで貸しちゃおうかしら。

 

すっかり荷造りを終えて、エレベーターがないこの家からスーツケースを下に降ろした頃にAirbnbでお客さんからメッセージが届く。
アジア人の男の子2人が待っていた。1人は英語が達者だったのでわりとスムーズにやり取りをすることができた。
だけど、あの部屋に2人なんてゲイカップルなのかな、なんて考えたりした。

 

何はともあれ、貸し出してしまった以上は何も言えないので、自分もバスに乗り込んだ。私の実家はモンサンミッシェルの近くにある。
パリから観光で来る人もいるけれど、決して同じ括りにする場所ではないのになあと思う。全然、車で何時間もかかるというのに。

 

仕事でパリに来た当初は、本当に色々なところを巡った。
親に連れられて行ったときに一応ルーブル美術館エッフェル塔凱旋門ノートルダム大聖堂あたりの有名どころは観に行ったけれど、あれ、ノートルダム大聖堂はこの間焼けちゃったんだっけ。それでもセーヌ川のほとりを1人で歩いた時には、自立したことをヒシヒシと感じた。

 

どんどん景色の中の建物は減り、海の匂いがしてきた。
孤高の修道院であるモンサンミッシェルも、最近はただの観光地化してきている。
確かに実家でもオムレツはよく出ていたし、美味しかったけれど、海を越えてまで食べたいものではないだろうと思ってしまう。
むしろ、幼いころは満ち引きが危ないから安易に近づくなと言われたものだが。

 

文句はいくらでも出てくるけれど、やっぱり平屋が多くて見晴らしのいい道が続く故郷が見えると安心してしまう。
パリはすごいところだ。ただ、それは人生の全てではない。
明日はノルマンディーのオマハビーチの方にでも行ってみようか。
なにかが見つかるかもしれない。それが仕事ならいいかも。

ルクセンブルクの影

「結婚してほしい。」

 

彼は私に跪き、そう言った。

次の瞬間には小さな箱が開けられていた。

幼いころから思い描いていた夢、素敵なお嫁さんになること。

それが叶う瞬間だった。

 

「はい、これからよろしくお願いします。」

 

そう言って私は泣き崩れた。

今までの努力が報われた気がした。

 

 

「ここに着いてきてほしい。」

 

彼は夕食を食べながらそう言った。

次の瞬間には、世界の歩き方が開かれていた。

投資銀行に勤める彼の夢、海外の本社で働くこと。

それが叶う瞬間だった。

 

ルクセンブルク?」

 

そう言って私は呆然とした。

今までの聞いたことなない単語だった。

 

「アフリカなんて行かないから。」

「なにを言ってるんだよ、ルクセンブルクはヨーロッパだよ。パリの隣。」

 

きちんと地図をみると、パリの隣ということはないけれど、確かにフランス・ベルギー・ドイツに囲まれて街も綺麗な感じがした。

もう少し説明しやすい場所ならよかったのに。

 

そう思う私の感情なんて無視して旦那は浮かれていた。

「次の4月にはここで働かないといけないから、準備よろしくね。」

 

英語もろくに分からず、ルクセンブルク公用語なんてもっと分からないまま行くことになってしまった。

直近の悩みが旦那の友達や両親とどうやっていい人間関係を保っていこうかというものから、新生活の準備に切り替わった。

今までは微妙な距離感を保ちながら外交していくことが必要だったけれど、今回の悩みは否応なしに進んでいかないといけない。

 

赴任が決まるとそこからは早かった。

トントン拍子に物事は決まり、ルクセンブルクに住み始めた。

正直、治安もよくて都市国家なだけあり、かなり落ち着いた生活ができた。

物価が高いところが玉に傷だけれど、許容範囲かなと思う。

 

少しルクセンブルク生活にも慣れてきた昼下がり、買い物ついでに少し遠出しようかと思い、足が向くままに歩いた。

海外だとは分かっていたけれど、あまりにも治安がいいのでずんずんと進んでしまった。途中、協会があったり、お城みたいなところがあったり、大きな川があったり、散歩としてはとても楽しかった。

 

しかしどうだろう。ここはどこなんだろう。気づくと、谷のような場所に来てしまっていて、まるで自分がどこにいるか分からない。

スマホを見るが、だいぶ遠くまでやってきてしまったみたいだった。

辺りを見回すと、綺麗な建物があったので覗いてみた。老人ホームのようなところだったけれど、中庭から小さな子供が飛び出してきた。

 

「危ないよ。」

 

そう呟く私とは関係なく子供はどんどん走っていってしまう。

すかさず追いかけるが、なかなか追いつかない。

城壁の中や、階段を駆け上がったり。

親はどこにいるんだ。

 

息を切らしながらたどり着いたその場所はよく見知ったピザハットだった。

あ、ルクセンブルクにもあったんだ。

あれ、意外と家から近いじゃん。

 

旦那に話しても信じてくれないだろうから、その話はせずに、ピザだけ買って帰った。

あれから3年ルクセンブルクに住んで、日本に帰ってきたけれど、ピザハットを見る度にルクセンブルクの要塞を思い出す。

あの子とブリュッセル、時々アントワープ

「しょんべん小僧は残念スポットなんかじゃない。」

EUの本部は絶対にここはじゃない。」

「私も巨人の手を投げられる人生がよかった。」

 

髪の毛を眉毛からだいぶ上で切りそろえた彼女は自信をもってそう言い放った。

卒業旅行に行ってから別れてしまった彼女の語録を時々思い出してしまう。

 

しょんべん小僧はやっぱり思ったよりだいぶ小さいもので街角にありすぎるし、EUの本部の近くにたくさん人がいて怖い思いもした。

アントワープにデイトリップをしたときは、巨人の手を投げている像があったけれど、あれはあくまでも伝説である。

 

本来であればドイツからパリに飛行機で飛ぶ予定だったのに、チョコレートとワッフルをベルギーで食べないと死ねないと駄々をこねた彼女に合わせる形でベルギーに訪れた。

 

「どう?本場のワッフルは?」

「まあ悪くない。それよりもあの象はなに?」

「しょんべん少女じゃない?」

「違う、ゾウ違い。あの赤い象。」

「あー、デリリウム。甘いビールだよ。」

「よし、行こう。着いてきたまえ。」

「結局酒かい。」

「君も飲みたい年頃じゃないのかい?」

「まあ20歳超えてるからね。」

「ベルギーでは16歳から飲酒が認められているんだよ。だからあんなに高校生に色気があるんだ。日本も飲酒年齢を引き下げないと世界と戦うことなんてできないよ。」

「いやいや、顔立ちとかでしょう。。」

 

無理のある持論を展開されて、ビアバーに入れられた。

ただ彼女のその雰囲気はヨーロッパでは気に入られることも多く、実際にブリュッセルのビアバーで彼女が頼んだビール瓶のフタは普段よりも2,3倍高く飛び、ビールを注ぐパフォーマンスもいささか派手なものになった気がした。

 

一応断っておくけれど、僕も僕で楽しみは見つけていた。

彼女に振り回されていただけじゃない。

ベルギーの建物は規則正しく並び、アントワープは特に銀座のような風格を持った街であった。アントワープ駅の美しさは日本の規格では語れないものがあった。

あれは機能としての駅ではなく、街の象徴としての駅であった。

 

それでも、別れた今思い出されてしまうのは散々飲まされたビールや彼女が頼みすぎたオイスター、そして少しのワッフルとチョコレートである。

ろくにお土産も買わなかった我々は、その後日本に帰ってすぐ別れてしまった。

その別れはよくあるもので、会社に入り住む場所が変わりお互いのすれ違いが多くなったということだった。

 

彼女は社会人になっても持論を展開できているのだろうか?

あの、僕をたくさん困らせて僕にため息をつかせて、そして最後には笑ってしまうあの持論を。

アムステルダムの裏側

ドラッグとセックスの街、アムステルダム

そんなのは虚構だ。

アムステルダムは優等生のようだ。

 

ドラッグとセックスを押し売りしておいて、実は水の都であり、風車の街である。

そんなことを思ったのは、セックスを売りすぎてしまったからだろうか。

 

若いころから神戸でのびのびとソープで働いていた私は刺激だけが欲しくなった。

努力なんてなにもしないまま、若くしてヨーロッパに挑戦するサッカー選手のような気持ちで海外進出した。

 

オランダではまんまるなお目目より切れ長の艶やかな目を求められた。

甲高い声ではなくて喉の奥から出る嗚咽に近い声を求められた。

可愛らしさではなく、強かさを求められた。

 

今まではプロデュースも店任せだったけれど、個人事業主となった。

これが世界の洗練かと言わんばかりに飾り窓の一枠を貸し切り、自分という商品を観光客に向かって売っている。

一つだけいいことがあった。それは品質のいいウィードが当たり前にやり取りされていることだ。ブルドックというコーヒーショップに入り、煙たい店内を進んでいく。

日本にいる頃の自分だったら挙動不審にしてしまうが、人種差別が日常茶飯事なアムステルダムでは一瞬の隙だって見せてはいけない。

むしろこちらから仕掛けてやるという気概、それが求められる。

ジョイントを受け取り、席に座り、虚構を見つめて煙を吐く。

 

17の頃から無理をして吸っていた細いタバコより、遥かに落ち着いた。

同じ中学だった優等生は海外駐在を始めたというけれど、私だって負けてない。

やっぱり人生で必要なものは教養ではなく根性なんだと信じ切っていた。

 

アムステルダムに来てからというもの、一人の時間が増えた。

それは精神的にも、物理的にもである。

そこで始まったのが散歩だった。

 

あんなにも色欲にまみれた歓楽街は、少しだけ抜け出すと長閑な田舎の風景が続く。

川に挟まれ、自転車が走り、アヒルが歩いている。

仕事終わり、日が昇り始めてもう2時間近くは散歩をしているだろうか。

コインランドリーと出会った。

 

「こんな辺鄙な場所にあったもんだから、誰にも会わないでしょう。私が使ってあげるよ。たまには求められるのもいいもんだよ。」

 

日本語を使う機会が少ないと、自分の母国語を確認するように独り言を呟いてしまう。

少ない洗濯物を突っ込んで、近くのマクドでブランチを食べた。

 

私は求められるものを敏感に察知して動いてきた。

実際、飾り窓地区は様々なものを要求してきた。

しかしオランダの多くは、私になにも要求してこなかった。

 

いつまで経ってもこの街の本質は分からない。

真昼間から少し甘いあの匂いを漂わせて、夜になると赤いライトが川を挟んで煌々と照らしつける。

今夜も私はカーテンを降ろす。

The Bucket List

死ぬまでにやりたい100のこと

【仕事編】

1. 人事の仕事につく

2. 仕事で海外に行く

3. 自分が会社に影響を与えたと思える仕事をする

4. 自分の専門性を一言で表せるようにする

5. 複数の収入源を持つ

6. プロボノをする

7. 友達や自分の古巣と仕事をする

8. ライバルを作る

9. 社外の人巻き込んだ仕事をする

10. 人事系の資格を取る

 

【旅行編】

11. 島に旅に行く

12. 47都道府県を制覇する

13. 100の国に行く

14. 東南アジアを旅する

15. ヨーロッパを旅する

16. アメリカを旅する

17. 中東を旅する

18. オセアニアを旅する

19. アフリカを旅する

20. 一人で海外を旅する

21. バックパックで1ヵ月以上海外で生活する

22. さいころ旅をする

23. 青春18きっぷで旅する

 

【趣味/経験編】

24. 英語の本を読破する

25. 英語話せるようになる

26. 1年に100冊の本を読む

27. フィルムカメラを使う

28. 本を書く

29. 髪を染める

30. 長髪にする

31. 行きつけの店をつくる

32. サーフィンをする

33. ギター弾けるようになる

34. ミニクーパーを買う

35. フェスに行く

36. ダイビングの資格取る

37. 結婚式の友人代表のスピーチをする

38. 海外サッカーを現地で見る

39. W杯を現地で見る

40. 大学院に行く

41. サッカーのコーチになる

42. 世界中のビールを飲む

43. 世界中のウイスキーを飲む

44. 料理ができるようになる

45. インタビューされる

46. ラジオに出る

47. 全国のサウナに行く

48. 絵を描く

49. コーヒーに詳しくなる

50. わけのわからんサークルに入る

51. フルマラソン完走

52. 一生ものの服を買う

53. 自分の思いをサービスにする

54. バク転ができるようになる

55. 戦えるようになる

56. 作詞する

57. 指笛ができるようになる

58. ヨーロッパでスキーをする

59. ハーフパイプでスノボする

60. 寝台列車に乗る

61. 自分のサインを店に飾ってもらう

62. 映画館で映画をみることをやめない

63. 神輿をかつぐ

64. ピアノを弾けるようになる

65. 誰かにバラをプレゼントする

66. サプライズをする

67. いい革靴を買う

68. オーダーメイドスーツを買う

69. 芝居をする

 

【自分自身】

70. 自分の機嫌を自分で取る

71. 強い言葉を使わない

72. 考えることをやめない

73. くだらないことをし続ける

74. 近くのものをよく観察する

75. 大事なものを見極める

76. よく笑う

77. 誰かのヒーローになる

78. 気さくな人でいる

79. 友達を大切にする

80. かっこよさを大切にする

 

【暮らし編】

81 家具を自作する

82. 一人暮らしをする

83. シェアハウスする

84. 神戸に住む

85. 吉祥寺に住む

86. 海の見える街に住む

87. 結婚する

88. 子供を持つ

89. 猫を飼う

90. 別荘を持つ

91. 植物と暮らす

92. お酒をたくさん置く

93. 庭のある家に住む

ベルリンは笑う

広がるコンクリート

けたたましく駆け込む電車の音。

垂直に歩けたってなかなか辿り着かないような高いビル。

 


それは日常であり異常な光景である。

この光景にもう一つ付け足せば東京ではないことが分かるだろうか。

 


すれ違う人たちはいくら仲がよくてもオリンピックを一緒に観ることはない。

移民がひしめくドイツの首都、ベルリンである。

 


ベルリン駐在の前任者からの引き継ぎ資料を久しぶりにパラパラとめくっている。

そこに書かれているのは、彼の旅行記のようなものだった。アウシュビッツには一回行っておけ、東欧はハマる、それでもパリはすごい。最近の大学生でももう少し内容のある引き継ぎは作れるはずだ。それが書かれていないのは仕事内容自体にはあまり特筆すべき点がないことを物語っている。

 


この会社には新卒のときになんとなく入った。もう10年目になる。文句を言わないタイプの人間だったことか、もしくは独身だということは海外異動になる一つの要因だったかもしれない。

 


ある日曜日。

海外生活といっても、基本的にはスーパーで食材を買い料理をして本を読む。日本語の本はドイツにも入ってくるし、時々飲むビールは日本のものより体に合っている。

 


来週、珍しく来客がある。同期がドイツ旅行に来るらしい。案内というほどではないが、付き添うことになった。

 


他にやることもないので、そのためにベルリンの壁に描いてある絵について調べていた。一度も行ったことがないのにも関わらず。男性同士がキスをしている絵は象徴として扱われているが、その中には日本の絵もあることを知った。

 


また、第二次世界大戦で敗戦国となったドイツはアメリカ、フランス、イギリス、ソ連の統治下となった。ドイツ国内も分割され、東ドイツに属する首都ベルリンも分割された。それはベルリンの壁と呼ばれる高さ約3mはあるだろうコンクリートの仕切りが建設された。

 


日頃ベルリン市内を移動するときにベルリンの壁を見かける。しかしそれは来客用のものではなく、ただ、未だに残っているものである。有名なのはイーストサイドギャラリーと呼ばれる1.5kmほどの通りだ。

 


調べてばかりいても分かることは少ない。実際に行くことにした。

 


ベルリンの壁はあっけなくそこに存在した。高いとはいえど、それは想像を絶する高さではなかった。むしろ様々な壁の中では想定内の範囲であると思う。

 


壁に沿ってメッセージ性を見出せそうな絵が多く描いてあった。きっと時代を代表する人もいたのだろう。

30分以上かけて、丁寧に絵を見ていった。壮大な博物館のようだ。終わりまですっかりみてしまったあと、疲れていたので近くのビールバーを調べてもう少しだけ足を伸ばした。

 


そのバーはまるで映画の中で情報交換が頻繁に行われているような雰囲気だった。あるいは全く理解することができないドイツ語がそう感じさせたのかもしれない。

 


店員のおすすめに従い3杯立て続けに飲んだ。普段あまり飲むことがないので、これはとても珍しい。それに拍車をかけたのは日本人の存在だった。他人に奢るのなんて何年ぶりだろうか。卒業旅行に来ていた大学生3人組と少し話し、敬語を使ってもらったお礼として彼らの分までビールを頼んだ。

 


その結果ひどく酔っ払ってしまった。

 


帰り道に通るイーストサイドギャラリーの絵が少しぼやけて見える。それでもこの絵に寄っかかってはいけない。それに加えて、あまり背が高くないのでスリの対象になりやすい。真っ直ぐ歩かないといけないはずだった。

 


そんな思いとは裏腹になかなか体調が回復しない。壁の裏側に回り、少し座って休憩をした。

 


怒りが湧いてきたのはその時だった。

綺麗な絵が描かれた裏側は落書きの嵐だった。ベルリンの壁崩壊の時の動画を思い出した。先人たちへのリスペクトはないのか。闘いの遺産に落書きなんておかしい。その怒りは冒涜に対するものだけでは収まらなかった。

 


僕は怒鳴っていた。

 


なぜ僕はなぜあんなに酒を飲んだのか。会社の中で唯一日本語しか話せない僕への視線はなんなのか。なぜあいつが20代で課長になっているのか。第一希望の会社に行けなかったのはなぜなのか。大学2年生の時、理由もなく彼女に別れを告げられたのはなぜだったのか。その場所が僕のお気に入りの東京タワーだったことには意味があるのか。そして今度の来客があいつで、僕の彼女だった人と付き合っていることには意味が、。

 


怒り、不満、嫉妬、様々な感情はその壁に向けられた。握りしめた拳も、その壁に向かっていった。

 


僕はベルリンの壁の反対側で咽び泣いた。

象徴としてのその壁は、感情を呼び起こす。

 


それでも日常は続き、壁がなくなることはない。その壁はどちらが表なのか。